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正覺寺緑起
 
当山は三祖山成就院正覺寺と号し、開基は建治3年(1277年)小松内大臣平重盛の次男、幼名仁壽丸事蓮順坊順玄が親鸞聖人の弟子となり牛伏に一宇を建立す(それ以前は天台宗の正覺寺であったらしく親鸞聖人が稲田の草庵から常陸大宮方面へ布教へ行かれる時に丁度お昼時にこの寺で食事を取られたことから昼飯寺とも地元では言われている)ご本尊は本願寺第三世覺如上人御親筆と共に下賜されし三体の阿弥陀如来である

 寛文6年(1666年)に寺社破却により廃寺となるも、元禄2年(1689年)玄了上人により牛伏より筑地に山門、鐘楼を建造再建し二十四世釈順栄まで隆盛を極めるも明治6年(1873年)7月29日落雷により本堂等焼失無住となる

 大正2年(1913年)第二十五世住職釈教順により再興するも昭和11年(1936年)8月落雷により再度焼失。昭和25年(1950年)第二十六世住職釋博秀により再・再建、昭和55年(1980年)本堂を新築。平成17年(2005年)10月会館・庫裏を新築し現在に至る。

教章